卒論

卒論終わった。

帰り道にアイス買った。

もっとテンションあがるかと思ったけど、そんなこともないな。

さびしい気持ちのが強い。

もうこれで学校に行く理由もほぼない。

結局就活で誰にも聞かれなかったけど

私なりに頑張ったし、楽しかったよ。

今度、話聞いてください。

インターネット

にくい人もいとしい人もいいねしたい

深い夜はたまにやさしい

 

心が動くってことは、伝えられる人がいるってことは、素敵なことだよ。一人部屋にいたってどこかで誰かが生きてるってことを感じられるのがインターネットのいいところだな。眠気と疲れでぼおっとしておかしくなってるんだと思う。だけどなんか、泣けちゃうんだよね。

ヒール

「なんで結婚しないの」

「英語どれぐらい話せるの」

「就活で人生決まるからね」

「地方の零細企業でしか働けなさそう」

「世の中って君が考えてるほど甘くないよ」

 

私にとって取るに足らないことを、たいしたことだと押し付けられるのが嫌いです。だから私は言葉を尽くして伝える。でも経験したことがないってだけで耳さえ傾けてもらえないでしょう。だから私は経験を重ねる。「そんなこと、たいしたことじゃない」っていえる権利がほしい。工場生産の定規で人を叩いているだけで何かを成し遂げたような気になっているその思考を、ヒールの底で踏み潰したい。

問い

性格が暗いから。仕事が特殊だから。病気だから。

自分が納得しやすい物語に変えて消費しないで。遠い遠い国での出来事では決してない。「絶対」も「永遠」もないってとっくに気づいているでしょう。

考えてみれば自分の死はたった一回。だけど他人の死はこれから何回もある。明日かもしれないし、一人ずつじゃないかもしれない。

でもそれでも私たちは生きていかなきゃいけない。

「人生とは」から始まる言葉は地上に溢れているけど、そのひとつに「他人に死なれていくこと」があると思う。

死なれるってなんだ。

それでも生きるってなんだ。

「死んだら悲しい」と思う人がこの世にいるのなら、これはあなた自身への問いです。

おいしい

「かわいい」も「おもしろい」も「楽しい」も吊し上げられる今の世の中で、大声で言ってもいいのは「おいしい」だけになってやしないか。

普段は日曜日の公園のすみっこで持参の箱の上に立ち、身振り手振り持論を訴えている(つもりの)私も、たまには頭からっぽにしてみんなで楽しくWAになって踊りたいときがある。しかしそんなときにできる話を考えると、あらゆる正義が死んだ今はもう「○○がおいしい」ぐらいしかない気がするのである。まぁ食いしん坊にとってそれは苦ではないし、むしろ喜んでしたい話なので別にいい。「徳島ラーメンって生卵のっけるんです、すき焼きみたいに!瀬戸内海で捕った牡蠣は小ぶりだけど濃厚で日本酒と合いました~日本酒って言えば長野の『夜明け前』って名前の日本酒が一級品!静岡の『さわやか』、一度は行ってみたいですよね。」なんてトークも書いてるだけでにこにこしてしまう。だから別にいい。いいんだけどさ。「おいしい」ってすごいよねって話と「おいしい」さえも裁判にかけられる時代が来たら絶望だよねって話がちょっとしたかったんです。

 

指の間

ふたゆびで直角作れどカーブする

今日も私は少しだけ「何か」

 

水かきと呼ばれる部分を見ていると、何か別の生物だった名残を感じる。水かきのある私は人間じゃない何かとしての命をほんの数%持っているんじゃないかしら。

言葉

個人によって定義が異なるものに同じ言葉があてがわれたばかりに、本当だ嘘だ正解だ間違いだ言い合うのはもう疲れたな。言葉は便利だけど、利便性の影に隠れてしまったもののことは胸に留めておくべき。辞書に書いてある定義と自分の中の定義が一致しているのはたまたま。一致していないのもたまたま。誰かを理解しようとするならまずそこからはじめるべきじゃないかな。理解なんてそりゃできないけど、できないからってしようとしないのは違うよね。辞書に載っていない各人の思い、匂い、感触、光、重さ、痛み、喜びを持ち寄って今日の21時にコタツ集合で。