透明

読んでいるというより「通っている」気がする。

 

今村夏子という場所に通っている。

ドアを叩き、あいさつをし、向かい合って座る。

寝ころべない緊張感、それでいて誰にも言えないことを言える空気感。

また来ます、と言って帰る。

次の予定はしばらく先。だけどスケジュール帳に書かなくても忘れない。

 

なぜこんなに惹かれているのかを考えてみてもはっきりとした理由が見つからない。

ただひとつ挙げられるとすれば、主人公の瞳がいつも透き通っていることだと思う。

子どものように(子どもが主人公であることは多いのだが)つやつやした瞳がまばたきせずに自分の周囲で起きる出来事を見つめている、そんな感じがする。

グレる兄弟・姉妹、顔にもやのかかった親、距離感をはかる同級生たち。

それらは今村作品によく登場するキャラクターであるが、主人公は彼らに何かいい影響を与えられるでもなく、大抵、無力だ。だからこそその透明な瞳は、人間の弱さ、情けなさ、痛々しさを一切のフィルターを通すことなく映し出す。

フィルターは一種の盾だ。自分を傷つけるかもしれない外部の刺激から身を守る。他人をカテゴリー分けしたり、都合の悪い情報はカットしたりして多くの人は平穏な暮らしを送る。だからフィルターを持たない主人公は、必然的に傷だらけである場合が多い。しかし物語はその傷が治っていくことに焦点をあてるわけでもなく、淡々と事実を描写し終わる。はじめ読んだときは正直「え、それでいいの?」と思った。しかし時間が経つにつれて、私が求めていたのはなんだったんだろうと考え始める。

だいたいの登場人物たちはグレたり、怪しい宗教に走ったり、不自然すぎるうそをついたりと、なかなかに「正しくない」。だけどそれらを透明な瞳で見つめることによって、正しさを形作っていた枠が無くなっていく。中身が水のようにこぼれて読み手の心に落ちてくる。手ですくえば光が反射する。

誰もが必死に生きている。輝く水の美しさにそんな言葉を思い出して、物語の意味を私なりに見つけた気がする。

大体の人が当たり前に上手くなっていくことをずっと下手なままでいること。それを描いた今村作品は、生きづらさを抱えて生きていく人々、そしてかつて透明の瞳で世界を見ていたすべての人たちへの贈り物だと思う。

 

 

 

 

星の子

星の子

 
こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 
あひる

あひる

 

 

わがまま

「どう、最近は」

「そうだねぇ」

「お父さんとお母さん、体調は?」

「うーん、良くはならないかな。まさか二人ほぼ同時にああなっちゃうなんてねぇ」

「そっか」

「まぁ私が今できることは二人が一日でも長く生きられるよう介護するってだけだから」

「そうだね。よくやってるよ、本当に」

「ありがとう。みんな、どうしてる?」

「みんなは元気だよ。心配してた」

「そうだよね。いきなりこんなに長くお休み取っちゃって、迷惑かけたわ」

「あたしらのことは気にしないで。今は介護、頑張って」

「うん…あのさぁ、こんなこと言ったら否定されるってわかってるんだけど」

「うん」

「今までわたし、自殺する人って正気じゃないとか考えが足りてないってイメージだったの。でもそうじゃないこともあるんじゃないかなって」

「え?」

「選べるうちに自分で死を選ぶって、絶対に悪いことなのかな」

「待って、何言ってるの?」

「信じてもらえないかもしれないけど。私は冷静に、そう思うの」

「…死にたいってこと?」

「うーん。自分の納得のいく死に方で死にたい、かな。うちのお父さんもお母さんも、毎日苦しそうなの。本当はもう生きてたくないって思ってるかもしれない。でもそれを伝えられないし、自分で死ぬこともできない。私をはじめ周囲の人が生きててほしいって思い続ける限り命は続いてしまう」

「うん」

「自分がそうなる前に私は自分の死を自分で選びたい、と思って」

「そ、うかぁ」

「もちろん親はちゃんと看取るよ。それまではなんとしてでも生きる。恩返しはしたい。でもそのあとは私の好きにしてもいいかなって。結婚もしてないし、身寄りもいないし」

「友達じゃ、力になれない?」

「あ…ごめん」

「いや」

「やっぱりこんなこと、言うべきじゃなかったね。ごめんなさい」

「いやいや。今考えてること、よければ何でも聞かせて」

「ありがとう。…うん。命が続く限り生きるっていう大前提が最近きついのよ。なんで自分の命の終わりくらい自分で決められないんだろうって。でもだからってなんでもいいから死にたいっていうのとは違うのよ。私はただ、穏やかに自分の納得のいく方法で死にたいの。そのために自死っていう選択肢があってもいいんじゃないかって」

安楽死尊厳死、みたいな話だね」

「そう。それらを病気の人だけじゃなくて、健康な人にも認めてほしいの」

「なるほどねぇ」

「まぁこんな考え、受け入れられるとも思えないけどね」

「でもさぁ、ありきたりな言い方になるけど、生きてればいいことがあるよ。生きててよかったって思うこと、きっとこの先もあるよ?」

「うん、私もそう考えてたの。ちょっと前まで。幸せになれば、生きたいって思うんじゃないかって。でも違った。いいことがあっても、笑ってても、変わらないの。私の中で幸せと死にたい気持ちは別なの」

「じゃあ…どうすればいいの。あなたに生きててほしいって思う周りの人はどうすればいいの」

「…まぁ今すぐの話じゃないけどね」

「私は、ずっとあなたに生きててほしい」

「うん」

「でも私がそう言っても効果ないんでしょ」

「いや…」

「親御さんへちゃんと恩返ししたいって気持ちも納得のいく死を選びたいって気持ちも、なんとなくだけどわかったよ。でもそれって矛盾してると思う」

「え?」

「神も天国も信じてないから親が死んだらそれっきりだって思ってるでしょ。違うと思うよ。親の幸せを願うんなら死んだ後もちゃんと生きる、それが一番なんだよ」

「うーん」

「でもそれが苦しいんだよね。そういう人に生きろって言うのは酷だと思う。だけどさ、私はどんなことをしてでもあなたに生きててほしい。ずっと言い続けるから」

「うん…ありが―」

「お礼言われることじゃないよ。死にたいってのはあなたのわがままだし、生きろってのも私のわがままだからさ」

「そっか」

「おいしいもの食べよう。あと一緒にジョギングしよう。うちの柴犬も連れてくよ。庭に花も植えよう。かわいい服も買おう」

「いやそんな時間ないし、余裕も…」

「どうせ近々死ぬならめちゃくちゃ生きればいいじゃん」

「うーん」

「今あなたに必要なのは同じ文脈を生きていないものだよ、きっと」

「文脈…」

「会おう。連絡取ろう。一緒に話しよう。お願いだから」

「うん…ありがとう。」

「ううん、ごめんね。ありがとう」

 

 

帰り道、あの子が求めていたのは正解じゃなくて肯定だっただろうに、と気づいて喋りすぎたことを反省した。自分の球を投げるんじゃなくて、相手の球を受け取り続けるという伝え方もあった。次に会ったときは気を付けるぞ、と沈む夕日をにらみながら冷たい鼻をすする。

 

 

人はみんなどうしようもないほどわがままだけど、それはきっと愛されるべきことだ。

 

希望

幸せもしくは不幸せが人生のすべてだと信じていられたらよかったのに。なんで私はまだ生きているんだろう。その疑問が頭から離れなくて重い。リスカも見栄も下心もつまりは生きたいってことだと思えばまぶしい。せめて家族が生きている間は生きよう、そう思って日々を過ごしているけれど、それもどうだかわからない。こんなやつに「あなたに生きていてほしい」なんて叫ばれても説得力ないよね。だけど他人に呼び掛けているふりをして本当は自分に一番望んでいるのかもしれない。無様でもしがみついてほしい。生きたいって思ってほしい。

 

 

こんな文章、人様に見せるもんじゃないじゃないな。でもこうやって書くことが自分のなかにあるわずかな生への執着の発露のような気がして、希望、そう呼びたいのです。

土地

私は、与えられた土地の上に立っている。

日本人、女、偏頭痛、黒髪、中流階級

私にとって生きるとはそういった土地の上に立つことである。

身体が家で、人生は庭。

季節と共にうつろう庭の存在は寂しくうれしい。

手入れをしたりサボったりを繰り返しながら、強くなった。

立つ意味を無くした日も、揺れる花は美しかった。

いつかはここに新しい家ができる。

私はひとときだけこの土地の上に立っている。

晴れ

あんな夢を見ても晴れ

今日君の好きなバンドが解散したよ

 

またこの世界で目覚めてしまった。そのことに気づいて毎朝2秒、息を止める。

あちらのお母さんから連絡があって、あの子の日記に並ぶ私の名前を教えてくれた。

「なんでだろうね」。呟いた声が響いて今日も空が見れない。

ばかばかしいこと

最近、生活のなかにばかばかしさを取り入れようと意識している。

意識することでもないんだけど、根が暗いうえに変に真面目なのでそうでもしないと忘れてしまう。

積極的に物真似をする。

お笑い番組YouTubeで観る。

何秒うがいできるか競う。

高圧洗浄機の先っぽでスナイパーごっこをする。

どうでもいいこと(口のなかの水分を最も奪う食べ物はなにか等)を話し合う。

 

 

 

物事の本質を探る、自分に向き合う。そうやって世界の深淵をのぞきこむことは面白いし人生を豊かにする。でも没頭しすぎると落下するからたまに違うところを見ることが必要なのだ。真実も意義も頭を重くするばかりだからさ。ばかばかしさをもっと大切に。

 

 

 

あ、また真面目になってる…あぶないあぶない…

更新

「なんか…すごかったですね。」

「うん、濃かったね」

「私あの方たちが話してること正直あまりよくわかってないです」

「ねー大きな物語とかオルタナティブ音楽とか、ずいぶん盛り上がってたね」

「でも先輩は話ふられても答えられてたじゃないですか、すごいです」

「いやまぁ、適当に自分が思ったこと言っただけだよ」

「私は無理です、頭痛くなっちゃう。ばかだからなぁ。」

「いやばかじゃないって。いくら知識が豊富でも難しい言葉使えても、相手に伝えられてないならあっちだって至らないよ」

「そうですかねぇ」

「自分と価値観や視点の違う話って受け入れにくいよね」

「うんうん、そうですよね」

「だから自分の経験を頼りになんとか相手の話にまで行きつこうとするじゃん」

「…私はその経験が乏しいからなぁ」

「私もそうだよ。でも経験ってあってもなくても扱いが難しいと思う」

「どういう意味ですか?」

「遠い村に行くのに方位磁石がなくても困るけど磁気狂ってる方位磁石持ってても困るじゃん」

「ええ~まぁ、たしかに笑」

「経験は大切だし貴重な財産だけど、自分を支配する力も強いからさ、慎重になりたいなとは思う」

「ほぉ~。」

「…」

「…」

「…」

「でも私、あの方たちの難しい言葉にうんざりしちゃってあんまりわかろうとしてなかったです。遠くに見える村を眺めて『おぉ~遠いな…』って言って諦めちゃってました。そこは反省だなって思います」

「うーん、そっか、そうだね」

「無意識にこの人たちはこういう系の人かって失礼なカテゴリー分けしていたと思うんですよ」

「うん…それは私もしてたかな」

「でもそれじゃあもったいないですよね、せっかく会えたのに。あの哲学の奥にはそれにたどり着くまでのその人の感情があったんだろうって思うんですよ。それは私たちにもわかる簡単な言葉で言い表されるものなはずで」

「うんうん」

「そしてそれは誰にも共有されていない個人的なものなはずで。そこから紐解いていったら親近感湧くかなって思います」

「前提として共有されているものに差がありすぎると、おのずと疎外される人が現れるよね。今日の私たちのように笑」

「そうですよね笑 スタート地点を確認してそこにみんな並ぶようにする仕組みとか役割の人が必要ですね」

「あ~確かに。みんなが同じ声の大きさで話せる場が理想だよね」

「そうですね、今日は完全に委縮してしまった…」

「でもそこまでしてみんなを理解しようとすると疲れるよねものすごく」

「あ、うーん、そうですねぇ」

「苦しくならない?」

「どうだろ、私はなるべくしたいなって思いますけど」

「村の位置を確認するだけでも関わりとしては十分だとも思うけど」

「…うーん…そっかぁ」

「…」

「…」

「難しいね」

「難しいですね」

「でも難しいねで終わりたくないね」

「はい、少なくとも忘れずにいようと思います」

「そういうことを思えただけでもいい会だったね」

「たしかに」

 

答えが見つけられることよりも、こうやって更新されていくことのほうが大事なんじゃないかと、少し思ってマフラーに顔をうずめた。