商店「七」

近所のセブンイレブンに行った。

なんか小腹を満たすものあるかなと

店内を物色していたら、袋詰めのりんごがあった。

1袋6個、つがるふじ、258円。

コンビニでりんごと少し驚き

でもコンポートによいかも…と見ていたら

近くで棚を整理してたおじさんに

「小ぶりですけど甘みもしっかりあっておいしいですよ」

と笑顔で声をかけられた。

「あ、そうなんですね~」ともごもごつぶやき

1袋手にとりレジに並んだ。

そばには花。

コンビニで花…とまた驚いていたら

「店長のおばあちゃんが育てました」

と手書きで書かれた札が下がっていた。

次のお客様~!と呼ばれ慌ててレジに向かうと

9月1日からおでん全品70円セール!

というボードの横に

「ご自宅の鍋持参大歓迎!」という言葉と

鍋が擬人化したイラストが書き添えてあった。

 

 

多分あそこは「7」という名前の個人商店じゃないか。

 

 

予想を20度ほど上回る心温かい店づくりに戸惑いながら

「明日は家の金鍋持っていくかな…」と考えていた。

卒業式

胸に赤いリボンをつけるのは後輩の役目

3度ほど右に曲がった状態で

後輩は「よし」と言った

「卒業おめでとう」

朝から口々に言われるけど

何がおめでたいのかはわからない

だけど今日確実に最後になることはあって

頑張って感じ入ろうとしたけど

終わりなんてファンタジーのようで

いくら想像してもぼんやりしていた

 

からっぽの机に足がぶつかると

簡単に動いてしまう

もう何もない教室で

寒さだけが存在感をもつ

 

最後の会話、

視線を窓の外へ投げながら

本当は何も見ていなかった

ひとつ机を挟んだ右隣に

君が座っていて

なんて言えば笑ってくれるのか

驚いてくれるのか

悩んでくれるのか

私を、忘れないでいてくれるか

必死に考えて何かを言った

こっちを見向きもしないでつまらなそうに

何かを答えて君は遠くに行ってしまった

遠ざかる背中を

やっと2つの目で見れた

 

私も、私を、忘れて生きていくのだろうか

かっこわるくて下手で無力な私を忘れて

違う誰かと笑いあうのだろうか

 

最後の会話が思い出せない

そんな悲しみもどうでもよくなって

小さくなる君の背中のようにプツンと

消えるのだろうか

金髪

この前人生で初めて金髪にしたんですが、
そのとき色々なことを考えまして。

働き始めたら当分できなくなる
死ぬ前に一度やってみたい
就活終わったしなんかはじけたい

という軽い理由で染めたのですが
まぁーー友達から似合わねーと不評で不評で。
親族でも言わないくらいの言葉を
みなさんズケズケと言うわけです。
私以上に私の金髪について
意見を持っているわけです。
こんなに…気を遣わず話せる関係の
友達がたくさんいて私は幸せだよ…
というところまで思考が飛びました。
(ギャルの友達には褒められましたが)

そこで思ったのが
似合うかどうか/おしゃれかどうか
という軸は身なりの大前提なんだなぁということ。
当たり前か。
でも私は似合うはず!と思って
染めたわけではなく、本当にただの自己満足。
毎朝「わー金髪だー笑」と鏡を見てテンションが
あがったし、満足だったわけです。
だから似合わないと言われても
特に傷つきはしなかったし、友達のことを
悪く思うことはなかった。確かに似合ってはないし。
ただ……


それにしてもすげぇ言うな、と。


そこで身なりってなんだ、と考えたわけです。
身なりは他者へのメッセージとも言われまして。
私の発しているメッセージを友達は
質問と捉え「NO」と言ったまでかもしれなくて。
それどころか「そっちじゃない、違うよ」と
アドバイスをしてくれたかもしれなくて。
はたまた異物に対する嫌悪感かもしれなくて。

そうか。
私はプライベートの髪型や服装は
自己満足のために機能していればいいと
思っていたけど、前提が違っていたんだな。
そう気づいたわけですが、そこからが難しい。


身だしなみはマナーだとしても、
似合うこともマナーなのか。


うーーーん。考えていて結局たどり着いたのが

わりとどうでもいいな。

でした。
そもそも他人の身なりからメッセージ性を
そこまで感じなくてもいいんじゃないか、と。
そりゃ身だしなみは整えるべきだと思うけど
警察にお世話にならないように、
仕事で迷惑にならないように、
風邪を引かないようにしていれば
どうでもいいねっていうスタンスのほうが
お互い疲れないんじゃないかと
「私は」思うわけです。
(完全に非おしゃれの意見だな……)

まぁなにが言いたいかというと、


私と同じような悩みを持っている人。
鏡の前で「よし!」って思えたときの
ときめきをわざわざ否定することはないよ。


ということです。まとまりがないな。

日本文具資料館

この前、両国の日本文具資料館に行ってきました。

お目当てだった相撲博物館江戸東京博物館、花火資料館をはしごして

いやー世の中面白いものがたくさんあるなー!

両国ってさすが住所も「横綱(よこづな)」なんだなー!

と感動しながらフーと一息ついてマップを見ていたとき、

「文具資料館」なる文字を発見しました。

むむ、これは。

 

トコトコと歩いて到着。

浅草橋駅からだと徒歩5分とのこと。

一瞬通り過ぎてしまうほど外観は普通のビルで

おそるおそるドアをあけるとやっぱり普通のビル。

あ、間違えましたーと思っていると受付のおじさんが

「資料館?うんうん、ここに名前書いてね~」と。

入場無料らしいです。ありがたや。

そしておじさんに連れられて奥に進むとそこには―

 

ガラスケースに入った金印!

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列になって並ぶ計算機!

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昭和レトロ心くすぐる看板たち!

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他にもたくさん!!名前さえわからないときめきたちが所狭しと並んでいるわけです!

あまりの衝撃に立ち尽くす私におじさんは

「写真好きに撮っていいからな~」と言って消えました。

ありがとうありがとう、この景色が夢じゃなかったと証明できます。

 

いや待て金印て。社会の教科書おさらいさせて。

と思った方もいるかもしれません。

この日本文具資料館では旧石器時代から文具をおさらいしていきます。

金印で待ったをかけている場合ではないのです。

もうほんと尖った石みたいなのから飾られてますからね、

「いやこれは石やん」

って感じなんですがそこからマッハ早送りで見る文具の進化の素晴らしいこと。

鉛筆、羽ペン、ガラスペン、シャーペンなどなど丁寧な解説文付きで

起源をたどることができるんです。

例えば羽ペンなどは

鷲鳥の翼の外側5枚が筆記に適し、一番よいのは2番目と3番目の羽で生きた鳥から春に抜いたものが良く、左翼の方が好まれた。 

 とのこと。

いつか、言ってみたいなぁ。

 

「やっぱ羽ペンは鷲鳥の左翼にかぎるなぁ~個人的には2番目のが好み」

 

…通すぎるなー!

 

 

あ、最初に名前さえ分からないと言ったやつはこれでした。

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「矢立」という携帯用筆記具とのこと。

筆と墨壺を合わせたものらしいですが、調べたら現在も使われているんですね!?

毛筆による筆記が限定的になった現在の日本ではほとんど使われない。一方、内閣閣議決定閣僚花押による署名を必要とするため、持ち回り閣議では閣僚の署名を集めるために現在も矢立が使われている。(Wikipediaより)

そうなのか~現在のはどんな形をしているんでしょう。

展示されていたのはシンプルな装飾がほどこされている

きれいなシルエットの矢立でした。

 

 

 

お次はこちら。

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Perfumeのジャケ写…?

ファンの方、異論ありましたらすみません(ちなみに私もPerfumeファンなので仲良くなりましょう)。

洗練された雰囲気はディスプレイの仕方もあるとは思いますが

なによりもこの姿の美しい…シャ、シャープペンシル!?

なんだかシャーペンって気軽に略せないオーラを放っていますね。

このときのシャープペンシル開発者さんと今の開発者さんを会わせたいなー。

クルトガだけで3時間くらい盛り上がりそうではないでしょうか。

そして私はそれをそばで聞いていたい…。

 

 

てな感じで他にももっとたくさんある

(タイプライター、インク、鉛筆の懸紙…)のですが、

解説付きで生で見るのが一番なのであとは行ってからのお楽しみということで。

 

あ、そうそう出口付近に等身大の万年筆と鉛筆がありました。

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二本に挟まれて記念撮影すると楽しいです。

インスタ映えもばっちり!

 

いやー本当に素晴らしかった日本文具博物館。

文具は一番身近な美術品なんだなと思いました。

機能美を突き詰めたものもあり、骨董品として機能しているものもあり。

一般人が日常生活で使うものだって

手に持つ人の心をちょっと嬉しくする仕掛けがかわいい。

改めて文具への思いが深まりました。

 

帰りに何かグッズを買って運営に貢献できないかと思ったのですが

残念ながらグッズ販売はしていないようで。

それどころか受付のおじさんから「記念品ね!」と

フリクションのマーカーを頂きました。

 

なぜ!?!?!?

 

あんなに写真を撮りまくったのに

すべてが夢だったのではと疑ってしまうような体験。

大きな空間に厳かな雰囲気で!って感じではないですが

ぎゅぎゅっと古いかわいいものたちが並べられている空間で

静かにやさしい気持ちになれます。

もし気になったらぜひ足を運んでみてください。

文具資料館

 

 

ほくほくしながら両国駅まで向かう途中、

すれ違うお相撲さんたちがいい匂いすぎてびっくり。

そうかお相撲さんの町だもんね。でも他にもたくさんいい思い出ができました。

そして駅の横に立っていた看板をふと見ると

住所は「横綱(よこづな)」ではなく「横網(よこあみ)」でした。

 

今日も

今日もつらいですね。
毎日うれしいこと、苦しいこと、そのどちらでもないことに包まれてそれなりに幸せで、そしてつらいですね。
友達と大笑いしながら海沿いをドライブ、海だー!なんて言いながらどこも見てない瞬間がありますね、つらいからです。
仕事終わりに夜道をとぼとぼ歩いて「これでいいんだ」とか意味ありげにつぶやいてみても全くよくないですね、つらいからです。
身がねじれるようなとか、気を失いかけるほどとかいう言葉がつけられるような気持ちではないですね、流れていく製品にひたすらはんこを押し続ける仕事があるとしたらそれに近い、淡々とつらいのです。べっとりとした赤いインクで「つらい」と押し続けている、そんな気分です。そしてそんな商品はどこに需要があるのでしょうか、ありません。しかしどういうわけか廃棄もできないのです。いつか訳あり品として世に出せたらいいですね。ところでみなさんは今までの人生で「いつか」が来たことがありますか。私はありません。

つらいですね。
それを認め続けるのです。
私はつらい。
他の人には乗り越えられるとしても、友達に相談したら一蹴されるとしても、どうでもいい。

つらいんですよ。

サッカー

この前、初めてサッカーを観に行った。

私のサッカーについての全知識は

11人、PK、ワールドカップ、オシムブブゼラ、だった。

そんな私がサッカーを観に行こうと思い立ったきっかけは

「なんとなく」である。ぼんやりとした強い意志だ。

さっそく図書館からサッカーの入門書を借りて勉強した。

「サッカーのルール」と書かれた本を熱心に読む姿は

我ながら「図:サッカーのルールを勉強する人」として

教科書に載ってもいいほど完璧だったと思う。なんの教科書かわからないが。

 

オフサイドが3割ほど理解できたところで試合当日になった。

「残り7割は試合を観て感じろ」

私のなかのブルース・リーがささやいた。

ツルツルしたお揃いのTシャツを着たり、屋台でご飯を買ったりして

「お祭りみたいだな」と思いながら試合開始を待った。

 

結論から言えば、感動した。

意思を託されたボールの動き

忍者のように動く主審

数万人がひとつのボールに集中している場

巧みな戦略とボールさばきでゴールを目指す選手たち

すべてが私の日常にはないもので、圧倒された。

 

網の中にボールが入ることは、思っていたよりなんでもないことだった。

怒られるかもしれないが、それが一番印象に残った。

でもだからこそ、感動した。

 

ルールを決めて、努力を積み重ね、勝利を目指す。

ボールが網の中に入ること自体が面白いはずがない。

ボールを網の中に入れる力、それに込められたものを私たちは観ている。

 

ひたむきに何かを目指す人の姿は美しい

それは選手たちのみではなく、

応援しているサポーターにも感じることだった。

こちらのチームが点を入れ、歌にダンスに盛り上がっているとき

相手チームのサポーターはまっすぐに腕を上げ応援歌を歌っていた。

いや、当たり前なことなのかもしれない。

だけど選手たちと共に喜び、悔しがり、勝利を目指す人々の

エネルギーの集まりはまぶしかった。

 

試合は結局応援していたチームが勝利をおさめ、

周りの人たちはほくほくした笑顔で会場を後にしていた。

楽しみ方が個人的すぎる気もしたが、私もすごく楽しかった。

試合を成り立たせているすべてが味わい深かった。

サッカー、おもしろい。

オフサイドも理解度が6割に向上した。

はじめに

共感を前提として共有するの苦しいなとふと思いました。

2017年8月11日。今日の絵日記を書くとしたら枠いっぱいにコハダのにぎりを。

「初めて食べたコハダ、とてもおいしくて幸せ。」という文章を添えて。

 

でも本当は、新しい髪色似合ってないって散々言われてへこんでいるんです。

個人的には気に入っているんだけどな。

なんで結婚したくないの?って口々に言う友達に違和感を覚えるんです。

好きの延長線上に必ず結婚があるのかな。

正しく美しい話を大きな声で語っている人の前で居心地が悪くなるんです。

光は影をつくる、その影に隠れてしまったものは何かな。

 

友達に言えない、「いいね!」じゃない、今自分のなかに確かに存在する気持ち。

でもそれこそが私であったり君であったりするからさ、どんどん、出していきませんか。

きっとその方がおもしろい。少なくとも私はそういう世界が好き。

 

そんな気持ちではじめました。

ひとつ、よろしくどうぞ。