戸棚

今更だけど、シン・ゴジラを観た。私は具体的な物事について公で考えを述べるのが本当に苦手なんだけど、このことについてはなんとなく書こうかなと思う。
友達数人と集まって観賞会をした。観終わったあと、友達たちが「はぁ~(おもしろかったね)」という満足のため息をつくなか私は何も言わなかった。
言えなかった。
正直、おもしろいかおもしろくないかもわからなかった。ここまで各地で大絶賛されている作品に、そして私の周囲も躊躇いなくおもしろいと言い切る作品に、ピンときてないなんて恥ずかしくて黙っていた。
今日書くことは何を的はずれなと笑われるかもしれないし、つまらないやつって距離を置かれるかもしれないし、とにかくシン・ゴジラをおもしろいと思った人にとってプラスになることはまったくないかもしれない。
それでも、あの作品は「わかってる」人と「わかってない」人を単純に二分するようなものではないと思うから。そして作品に対して感じた気持ちに優劣をつけるべきではないと思うから。ちょっと感じたことを書いてみます。


観賞後、友達が「震災のことを表現しているね」とか「最後の尻尾の意味は」とか「すごい皮肉だね」とか話し合っている声を遠くに聞きながら、全身全霊で何かを守ろうとしたことがない、ぼんやりしていて勘の悪い人はどんなに素晴らしいものを目の前にしても価値を感じられないんだなと虚しくなった。まず私は、「国」「地位」「努力」の輪郭を捉えようとしても焦点があったことがない。だから誰かにすごく怒られそうだけど、政府が必死に国を守ろうとしている様子を見ても何が彼らにそこまでさせているのかがわからなくてぼーっとしてしまった。
ただ私の脳裏に唯一残っていたのは最初に街が破壊されていくシーンで、本当に的はずれなようだけど、それはいつか観たテレビ番組のワンシーンとふいに重なった。
その番組は孤独死について特集していた。VTRでは死後数か月経った現場で人型の黒いしみがついた布団や大量の虫が生々しく映し出されていて、今思い出しても胸が詰まる映像ばかりだった。でもそのとき何よりも衝撃的だったのは、セルフネグレクト状態だったという故人の家の考えられないほど荒れている戸棚だった。うまく言えないけど、布団や鏡のように主張はせずとも生活の真ん中に必ず置いてある「戸棚」の崩壊は生活そのものの崩壊のように感じられたのだ。「戸棚に食器が並んでいて、皿が重ねられているのは奇跡に近い当たり前なのか」とただ呆然と思った。


ゴジラは震災のオマージュだと言われていて、おそらくそれが正しい解釈なのだろうけど、私にとってのゴジラを挙げるとすればあの荒れた戸棚だった。正確に言えば、戸棚を荒れさせた何かだった。
生活の崩壊。
それは突然かもしれないしじわじわとしたものかもしれない。外側からかもしれないし内側からかもしれない。全体かもしれないし個人かもしれない。
なによりも現実世界でうごめくゴジラには形がない。そのことに劇中でみた姿以上の恐ろしさを感じて、手をぎゅっと結んだ。