祖母

昨日、祖母が亡くなった。

実の娘である母と叔母が白い顔で救急車に乗ったあとしばらくして泣きながら電話を掛けてきてそのあと怒濤、「どとう」という発音がぴったりあてはまるような怒濤の事務手続きをなんとかこなしながら泣いては落ち着いて泣いては落ち着いてやっぱり泣いてで大変だったけど、私にとっては台風が過ぎた日の気持ちを思い出すような死だった。亡くなる前日23歳になった私は従姉妹からHAPPY BIRTHDAYのプレートのついた派手なカチューシャをはめられた姿で祖母に話しかけて、「おばあちゃん、23歳になったよ」って祖母の瞳になんとか自分を映らせようとぐーっと顔を近づけた。多分それが最後だった。

思い出すのは一緒にクッキーを作ったとか、花が好きだったなとかそういうことで、もっと正確に言えばストーブの前でボウルを温めながらバターを溶かしていたこととか、「なの花」のほかに「うの花」もあるのよ、えっじゃあ「あの花」も「いの花」もある?それはどうかなぁなんて笑ったことで、思い出せば芋づるのようにいくらでも出てくるけどそれらは全部私が小学生のときの思い出。

祖母は約9年間、寝たきりの生活を送っていた。

ある日道路で転んで強く頭を打ったのと赤紫色のコブをおでこに作ってきてから少しずつ具合が悪くなって、落ち込んだり癇癪をおこしたり言葉がうまく出てこなったりするその姿にどう話しかけていいのかわからなくなって、わからないまま私は中学高校と進み18で家を出た。

母と叔母はずっと交代で世話をして、彼らは本当に献身的、いくつもの迷いのなかで大きな覚悟を腹の底にずしっと置いたような献身ですごいなぁと思いながら私はただ傍観していたのだけど、母がぼそっと「おばあちゃんはもしかしたらもう生きたくないのかもしれない、でも私たちは生きててほしいーって思うからさぁ」とこぼしたときには息が止まったように何も言えなかった。

誕生日の日に会った祖母はいつにも増して苦しそうでどろんとした瞳はどんなに近づいても私を映すことはなかった。苦しいよねぇ、苦しいよねぇって肩をさすったけどそれでも祖母に生きててほしいって思うこの気持ちはなんなんだろうと罪悪感を抱いてしまって、でもそれは同時に今まで介護をしてきた母や叔母へすごく失礼なことで、私はまた身動きのとれない深い暗闇に立っていた。

病院にいる母から電話を受けた父が私に向かって口を開いたとき、一瞬、「いやだ」って思ったけど「亡くなった」って言葉を聞いて心の中のざわめきが一斉に止んだ。考えているうちにそうか、もうおばあちゃんは苦しまなくていいってことなんだよなと安心している自分に気がついて、心のどこかで不謹慎にもこの瞬間を待っていたことを知った。大事な人の幸せを願うことは当たり前だし、大事な人の長生きを願うことも当たり前なのだけど、幸せと長生きは共存できないことがままあって、私はその狭間でわざと思考を停止させていた。無力感はあったけど、だからといって何ができたかと言われたらわからない、きっとこうなることがわかってても私にできることなんてなかった。

母や叔母はもっともっと多くの葛藤、苦しみ、もがきを経験しているはずで、今の気持ちに共感しようと思っても全然だめ、想像さえできない。せめて、と母の代わりに家事をやったら「ありがとう、偉いね」って何回も言われて、ううんだかんーだか曖昧な返事をしながら泣いている母を抱き締めたらすごくしょぼんと小さくて私はまた涙が溢れてきた。

母は今日はおばあちゃんの側で寝るから家には帰らないね、だからお母さんの部屋で寝てねと、帰省している私の仮部屋の暖房の性能があまりよくないことを気にして言ってきた。寝る前、温かく懐かしい匂いを頭から被ったときふいに、ああ母にはもうお母さんがいないのかと思ったら、頬もおでこも全部濡れるほど泣けて、どうかどうかと祈った。何を祈ったかさえわからなくて、でもただ、信じてもいない大きなものにすがって静かに泣いた。