生きる

暗い話になるので、苦手な人は飛ばしていただいてかまわないです。

まだ気持ちの整理がついていないので、支離滅裂な文章になっているかもしれません。

でも誰に言うこともできなくて、ここに書きます。

 

 

 

先日、親友を亡くしました。

大学時代、ずっと一緒にいた一番の友達でした。

ディズニーランドで遊んだり、ピクニックをしたり、花火大会に行ったり。

アルバムを彩る楽しい思い出は山ほどありますが、その子と過ごした時間の多くは写真を撮るほどでもないささやかな日々の生活でした。

第一印象も初めての会話もよく覚えていません。

1年生の秋に出会ってから、気がつけばいつも一緒にいました。

偶然同じアパートに住んでいることを知ってから、夕飯が多くできると鍋を持っていき、見たいテレビがあるとお邪魔し(私の家にはテレビがなかった)、シャンプー貸してと駆け込み。あーこうやって書いてると基本的に私が世話になってばかりだな。でもその子はいつも笑って「いいよ、うち来な~」と迎えてくれました。

本当に、やさしい子だったんです。

やさしくて、やさしくて、私はいつも助けられてばかりだった。

末っ子気質の私は長女気質の彼女を「ねーちゃん」と呼ぶようになって、周りの人に笑われてました。考え方も性格も全然違うのに、なぜか一緒にいると居心地よくて何時間しゃべっても飽きませんでした。

どんなときも他人の気持ちを考える子でした。こんなに親しい私にさえ言葉を選ぶし、自分の家族にさえ気をつかう。すごいね、と言うと本人は必ず「そんなことない!私なんていつも自分のことで頭いっぱいになっちゃうんだよ」って否定して、私のほうがすごいと褒めました。

そういうことに関して照れがない私たちは相手のいいところとか好きなところをすぐ言う関係でした。やさしくて、気が利いて、まっすぐなねーちゃんは素晴らしい、大好きだって感じたままに言うと、ねーちゃんは(謙虚にそれらをやんわり否定してから)おかえしに私のいいところをたくさん発見して話してくれました。ねーちゃんのほうが人間としてできてるのは誰に目にも明らかだけど、完璧じゃない私たちがお互いのことを想ってよりよくあれたのだとすれば、私はねーちゃんと自分の間にあるものも本当に好きでした。

そんなねーちゃんの具合が悪くなって、後ろ向きなことをつぶやくようになってからもずっと私はねーちゃんのすごいと思うところと好きなところを伝え続けました。そしてねーちゃんの話を聞き続けました。逆に言えばそれしかできることがなくてすごく歯がゆかった。具合が悪化すると共にねーちゃんの周りには硬い殻ができて、次第に私たちの連絡はまばらになりました。そしてそのまま、ねーちゃんは旅立ちました。

 

なんで私はもっと連絡しなかったんだろう。

なんで私はいつか治るって思ったんだろう。

なんで私は、なんで私は、と自分を責める気持ちが止まりませんでした。

同時に、なんでその道を選んだんだとねーちゃんを責める気持ちもありました。

生きる意味がわからなくなったって、どんなにつらくたって、すべてに絶望したって生きなきゃいけないでしょ。

絶対に、絶対に、生きなきゃいけないでしょ。

なんで、と考えたら涙が止まらなくて苦しかった。

結婚式は呼ぶよって言ったじゃん。社会で働くってわくわくするねって言ったじゃん。子どもの名前どうしようかって言ったじゃん。おばあちゃんになっても仲良くしようってさあ、言ったじゃん。

なんでねーちゃんがいないのに、私一人でそれらを経験してかなきゃいけないの。

そんなのおかしい。これからどうすればいいの私は。

死にたいっていうんじゃなくて、そんな人生を生きてかなきゃいけないってことがもう、わかりませんでした。

つらいときはいつもねーちゃんに電話かけて泣きついてたから、泣き疲れて咄嗟にねーちゃんに電話、と思ってしまって自分でもばかだなと思ってまた泣きました。

そうするうちに次第にねーちゃんを責める気持ちがなくなっていきました。

 

確かにね、ねーちゃん。

なんでこんなにつらくても生きてかなきゃいけないんだろうね。

 

 

 

後日、ご家族のおうちへ一人で伺いました。

ご両親は温かく迎えてくれて、ねーちゃんの話のなかでしか聞かなかったおうちを初めて目にしました。慣れないお悔やみの言葉を言い、ちゃんと作法を守らねばと緊張しながら線香をあげ、手を合わせました。

私は礼儀作法に疎かったのですが、ねーちゃんはそういうところがちゃんとしていたので、出来る限りの努力をしました。ねーちゃんの大事にしていたことを大事にするしか、弔い方が思い浮かばなかったのです。顔をあげると、写真のなかのねーちゃんはいつもの通りやさしく私を見つめていて、でも全然実感はわきませんでした。

「えー、この写真なの私!?」「この前合コン前に撮ったsnowのほうが盛れてたよね」「いやでもsnow飾るわけにもいかないか」「確かに!笑」って会話が声が聞こえるほど生々しく浮かんで、不謹慎だとはわかりながら、でもそれくらい私たちにとって遠い遠いものだった「死」がすぐ目の前にあることがどうやっても信じられませんでした。

ご両親は様々な葛藤のなか、ねーちゃんの弔い方を模索しているようでした。大学生活を過ごしていたねーちゃんのことを知りたいとおっしゃってたので、写真を見せながら楽しかったことを話しました。

そしたら本当に楽しくて。「私たちこんなことをして、そしたらねーちゃんがこう言ってめっちゃ笑いました。それから、それから…」と話していたらうれしくておかしくて笑っちゃいました。ご両親も笑って、よく話を聞いてくれました。

話しているうちに「ねーちゃんと話してると感動するんです。何年経っても話すたび感動する。こんなにやさしい子に会ったことないって何回も思いました。」って言葉がすっと口から出て、改めて気づきました。

 

私は、ねーちゃんが本当に好きだったんです。

ねーちゃんと出会えてうれしかったし、一緒にいて楽しかったし、ずっとずっと幸せだった。私の人生の中でねーちゃんと一緒に過ごした時間があって、本当によかった。

だからこれから会えなくなることが、ただただ、寂しい。

 

 

 

なんでこんなにつらくても生きてかなきゃいけないんだろう。

その答えは未だにわかりません。

でもつらいのと同じくらい、ねーちゃんとの日々はずっと楽しいものだった。そのことは何によっても傷つけられない永遠の事実なんです。

いろんなことを責めたり悔んだりする思いは尽きません。多分、周りからどんなに否定されてもその思いはこれからも持ち続けてしまうと思います。

それでも。

うれしかった、楽しかった、だから寂しいって気持ちはシンプルに素直に認めていこうと思います。無理に押さえつけようとなんてしない。

 

 

 

 

私はねーちゃんのことが大好きだったし、これからもずっとずっと大好き。

ねーちゃんに見せたかったものを作るよ、喜びそうなものは持っていくね、つらくなったら話しかけていいかな。

ねーちゃんの写真の前で手を合わせたとき、なんにも考えれなくてただ「幸せになってね」って思ったの。

じゃあ今までと変わらないよね。

私はこれからもねーちゃんの幸せを祈ってるから、ねーちゃんも祈っててね。

一緒に生きてこうね。