はぜかけ

今日は、はぜかけをした。

はぜかけとは稲木に稲を干していく作業のこと。

稲木(いなぎ、いなき、いのき)とは、イネなどの穀物や野菜を刈り取った後に束ねて天日に干せるよう、木材や竹などで柱を作り、横木を何本か掛けて作ったもの。*1

 後輩に急に誘われて二つ返事で行くことにした。

運転する彼は「僕、毎年お手伝いしてるんですけど」と話しながらくねくね曲がった山道を進んでいく。私はあいづちを打ちながら久しぶりにこんな遠くまで来たなと思った。私の最近の外出先はごみ収集所と近所のコンビニのみだった。「昨日体育の日だったのに何も運動しなかったから今日はたくさん動こうと思います」と話す後輩に、そんな律儀に祝日の趣旨に沿おうとする国民がいるんだと小さく驚きながら来る途中で買った透明の紅茶を飲んだ。本当に紅茶の味がしてまた驚いた。

目的地に着くと二人の男性が笑顔で迎えてくれた。田んぼの持ち主とその友人だと言う。二人とも焼けていて笑顔だった。

はぜかけのやり方は思ったよりもシンプルだった。シンプルだったけど意外に難しかった。稲の束を分けて棒にかけていくのだが、適当にやると棒が回って落ちる。「うーん」と立ち尽くす私たちに、近くを通りがかった軽トラからおじいさんが降りてきてコツを教えてくれた。「隣の田んぼ、おれの親戚のだからさちょっとほどいてやり方教えるよ」と従来よりも安定するうえにコンパクトに収まる超画期的な方法を伝授して、サッと軽トラで去って行った。圧倒的年の劫だった。

お昼は持ち主さんの家でシカ肉の入ったカレーを食べた。食事中の話題は「イノシシ用の罠はどこにかけるか」だった。奥さんはまだ1歳にも満たない赤ちゃんを寝かしつけながら会話に参加していた。赤ちゃんは触れたら壊れてしまいそうなほどふわふわしていて、体全体を小さく上下させながら寝ていた。私はなぜかちょっと涙が出そうになった。

午後も時折休みながらはぜかけの続きをした。少しずつコツを掴んできたので、午前より進行が早い。もくもくと作業をしながら、江戸時代やそのずっと前の農家の人たちもこうやってはぜかけをしたのかなと考えていた。当たり前のように親の稼業を継いで農作業をしていた子どもたちと話をしたい、はぜかけのときに何を考えていたか聞いてみたいと思った。休憩中は遠くに走る軽トラを目で追いながら奥さんが持ってきてくれた差し入れの梨を食べた。いつも一人で抱えているこんがらがった考えは少しも浮かばなくて、ただひたすら渇いた喉に梨をすいすいと運びながら私は、なんて過不足がないんだろうと思った。

作業は早い夕方に終わった。刈り取った田んぼは、絶景に見えた。近所の温泉の回数券をもらって、「お米できたら送るね」と笑顔で見送られた。

ここ一か月分くらいの運動を終えた私は心地よい疲労感を感じながら助手席でぼんやりと夕焼け空を見ていた。なんかいろんなことを忘れた日だった。それがいいのか悪いのかはわからなかったけど、体を動かすのはいいもんだった。後輩もほくほくした笑顔で「じゃ、これからサッカーしてきます」と言った。それはさすがにできないなと思った。