苦手と言いつつ2日連続で固有名詞に触れるけど、『アズミ・ハルコは行方不明』を読んだ。まったく感想に見えない私なりの感想を書きたいと思う(はじめに断るがめちゃくちゃ話が逸れる)。

アズミ・ハルコは行方不明

アズミ・ハルコは行方不明

 

 私はなぜか五十音の最後あたりの音から始まる作家が好きみたいで、いつも通り図書館でヤ行漁りをしているときに偶然本作を見つけた。

『かわいい結婚』しか読んだことのなかった山内マリコ。装丁かわいいと思って何の気なしに手にとってみたらこれがよかった。

昨日のシン・ゴジラをはじめ、絶対面白いはずのものにあんまりピンと来ない日々が続くので自分の感性死んだのかと思ってたのだけど、アズミ・ハルコで息を吹き返した。よかったよかった。

以下、あらすじはamazonに書いてあったものを拝借。

「大丈夫、私が見つけるから。」
地元で再会した3人組が、遊びではじめた人探し。
彼女はどうして消えちゃった?

「悲しいとき思い浮かべるのは、いつも女の子の顔だった。」

夜になると、男性を無差別に襲う謎の女子高生集団“少女ギャング団"が現れる街のこと。
成人式に参加した20歳の愛菜(あいな)は、名古屋の国立大に進学した中学の同級生ユキオと再会する。ほどなくして大学を中退し地元に戻ってきたユキオと、愛菜は暇に任せてなんとなく遊んだり、セックスしたり。2人はふらりと立ち寄ったCDショップで、中学で登校拒否になった学(まなぶ)を発見する。
ユキオと学は映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を見て、田舎の街をグラフィティアートで自由に彩るアーティストの姿に大感動。映画に出てくる覆面アーティスト・バンクシーに憧れ、自分たちもグラフィティを始める。
ある日、ユキオが持ってきたのは、街から消えた28歳・安曇春子(あずみはるこ)の行方を探す張り紙だった。安曇春子の顔とMISSINGの文字をグラフィティアートにし、2人は街じゅうに拡散していく。その頃ネットでは、少女ギャング団の起こす事件と、アズミ・ハルコのグラフィティアートの関連が噂され始めて――。

アズミ・ハルコはどうして消えたのか?
彼女を傷つけたのは何?
女の子がこれから幸せに生きていくには、どんな道がある?

『ここは退屈迎えに来て』で大注目を集める新鋭による、
ポップでミステリアスな無敵のガールズ小説! 
執筆に1年をかけた書き下ろし、初めての長編。

とのこと。

ここのところ作者の脳内会議に参加しているような気分になる小説ばかりを読んでいたので(それもまたいいのだけれども)、この作品ではページをめくる純粋な楽しさみたいなものを久しぶりに感じられてうれしかった。同時に、登場人物の人間関係が生臭くてどうしようもなくて、溢れる既視感の苦しさに何度かページを閉じることもあった。

地元に対する倦怠感、どうでもいい毎日と食卓、繰り返す勘違いみたいな恋心、情けない過去と欲。作品内では様々な要素が点在するが、大きなテーマは「女の子の生き方」だ。

読んでいるうちに女としての自分のこれまでを振り返って苦い気持ちになった。

女は痛いことばっかりだ。

こんなこと他人様に話すことではないのだけど、私はものすごく生理痛が重くて、中学生の頃は生理が来るたび遅刻や早退をしなければならないほどだった。人一倍痛みに弱い私は、早退する帰り道に電柱にもたれかかりながら誰にもぶつけられない恨みを募らせていた。そして大人になってまた別の痛みがこれからも要所要所で訪れることを知り絶望した。

どうせ痛い。女は逃れられない。それなら利用しよう。

という考えに至ったのが大学に入った頃。女として価値があるのは若い今だけなんだから売れる時に売っとこう、という思慮の浅いしかし切実な気持ちで大学生活を過ごした。まず女の価値の中で最もわかりやすく強力なのはやはりかわいさ、そう思った私は「かわいいとは何か」を考え続けた。若いだけで多分かわいい。だけどそれだけじゃ足りない。赤ちゃんはもちろんだが、お年寄りもしばしば「かわいい」と言われることに気づいたとき、かわいさとは「私が(俺が)支えなきゃ!」と思わせる生命力の弱さでもあるなと思った(失礼すぎるし安直すぎて指が震える)。

そうして「女の価値(かわいさ)=若い+弱い」の図式が出来上がった。男の前で若く弱いふりをすることで女としての利益を得た実感はあったが、同時に将来に対する恐怖が増長していった。歳をとったときの自分の価値を削ることで、今の「若い女の子」としての自分の価値を保証していたのだから当然とも言える。

そういう日々に疲れていた私を、アズミ・ハルコは爽快に救ってくれた。

女特有の痛みに対する復讐とか、男に対しての媚び売りとか、世間への愛想笑いじゃなく、ただ自分のためにかわいくありたいし女の子でいたい。

それは弱さなんかじゃない。強さだ。

逃れたくても逃れたくても自分はどうしようもなく女。いつだってここじゃないどこかに行きたいし、寂しい夜は泣きたくなるし、昔の男を思い出しては自分のことが嫌になる。

でもさ、大丈夫そんなん。クソみたいな現実は蹴り飛ばして、行方不明の君は他でもない君が見つけられる。その強さはもうあるじゃん、とこの作品は言ってくれている気がした。