思い出

「コーヒーだよ、コー、ヒー」

みんなはえええっと声をあげて、信じられないものを見たような顔になった。

わたしもすごく、びっくりした。

まりんちゃんはなぜか恥ずかしそうにうつむいた。

「コーヒー!だよ!パー、ティー、って言うべや!」

「やっぱ東京弁って変だな」

「はぁ何言っちゅんず、まりんちゃんかわいそうだべや」

幼なじみのけいこちゃんはきついなまりで男子を睨む。

「なんだよおめーだって東京弁話せねーくせに」

「コー!ヒー!だべ!コー!ヒー!!」

けいこちゃんとひろくんはいつものように

ケンカのようなじゃれあいをはじめた。3年2組のいつもの景色だ。

わたしはそんな2人を見てまりんちゃんに申し訳なくなった。

「まりんちゃん、ごめんね」

「ううん。ここではコーヒーって言うんだね。たしかに、パーティーと一緒だ」

まりんちゃんは小さい声でそう言ってくすくすと笑う。

東京の人はみんなこんな小さな声でお話しするんだろうか。

まりんちゃんだけかな。

「でも話しかけてくれただけでうれしいよ。

わたし何回も転校してるけど今日もちょっと緊張してたの。

友達できるかなぁって」

そんな、と思った。でも言葉がすぐに出てこない。

「わたしはまりんちゃんと、たくさん、友達になりたいって思ったよ!」

やっとのことで言ったのに日本語が間違っている。

でもまりんちゃんは今度は大きく笑って

「うん、たくさん、友達になろうね、きくちゃん」

と言った。

 

休み時間のたびにまりんちゃんの席に行って

最後には学級委員長の園山くんに注意された。

でもわたしはまりんちゃんとたくさん話せてうれしい。

まりんちゃんはうまく言葉が出てこないわたしの話を

だまってずっと聞いてくれる。

今日うまく説明できなかったのは、むっつい。

むっついって何?とまりんちゃんに聞かれて

むっついはむっついだ、と思った。

「カール食べたときの感じ、牛乳飲みたくなるでしょ?あれがむっつい!」

ひらめいた!と思ってしゃべったけど

「あ、口の中の水分奪われる感じ?」

と聞き返されて言葉の意味がよくわかんなくて、へらへら笑ってしまった。

わからなかったらちゃんと聞くのよ、へらへら笑わないのって

お母さんにいつも言われるけど

もう3年生なのに質問ばっかりしてたらバカにされそうで、言えない。

だけどまりんちゃんは何も言えなくなった私をからかうことなく、

「それにしてもカールに牛乳とは」

とちょっといじわるそうな顔をした。

「え、まりんちゃんは違うの?」

「カールには緑茶でしょ!」

ええ~それは違うよ~と言って二人して笑った。

まりんちゃんは大人っぽい。

東京から来たからかもしれない。

東京ではカールに緑茶なのかもしれない。

帰り道、そんなことを考えながら小石を蹴る。

これがあの穴に落ちたら、どうしよっかな。

じゃあ

明日はもっとまりんちゃんと話せる、で。

 

 

まりんちゃんが転校してきた日から

私たちは毎日毎日たくさんおしゃべりをした。

まりんちゃんちの金魚のシナモンのこと。

最近買ってもらったぷくぷくシールのこと。

わたしがトランプの神経衰弱が強いこと。

お父さんが酔っぱらって玄関で寝てたこと。

いつまで話しても飽きなかった。

クラスの子たちと集まって話しているときでも

親のなまりが強い子はすごくなまってるから

たまにまりんちゃんが「わからない」って泣くふりをして

SOSをこっそりわたしに出してくるので笑いながら頑張ってツウヤクした。

まりんちゃんは1カ月で新しい言葉をいっぱい覚えた。

「むっつい」「しゃっこい」「わや」「うるかす」

わたしたちはそれが方言だってことを初めて知った。

いつかまりんちゃんに「たくさん覚えたで賞」をあげようって

わたしはこっそり考えた。

 

ある日、小さい頃の写真を持ってくることが宿題になった。

「そんなもん全部食べちゃいましたー」とふざけるひろくんを

先生が叱る前に園山君が注意してて、おかしかった。

まりんちゃんを見ると、つまらなそうに窓の外を見ていた。

家でアルバムを見返すと幼なじみのけいこちゃんが半分以上

一緒に写ってた。お母さん同士がわたしたちを産む前から仲がいいらしい。

次の日、先生に出す前にけいこちゃんに写真を見せたら

まったく同じ写真を持ってきててわたしたちはお腹がいたくなるくらい笑った。

まりんちゃんにそのことを伝えると、いつもの笑顔にはならず

「いいなぁ」とつぶやいた。わたしが不思議そうな顔をしていると

「わたしはずっと一緒にいる友達はいないからさ。

みんなが時々話す、去年の芋ほりも、運動会も、あと隣のクラスの先生の物まねも

よくわかんないんだ。そういう一緒の思い出があるっていいね。

わたしは3年2組にいるけど、まだまだにせものクラスメイトだ~」

と言ってやっと笑った。わたしはちがう、って思ったけど

相変わらずうまく言葉にできなかった。なんとか絞り出して

「これからだよ」と言ったけど

それもなんかちがう、って思った。

 

「今度家に遊びにきなよって!まりんちゃんがシナモン見せてくれるって!」

とぴょんぴょん跳ねながらお母さんに報告すると

お姉ちゃんが

「シナモンってキャラクター?ぬいぐるみ?」と

いつも通りのほほんとした声で聞いてくる。

「まりんちゃんの飼ってる犬でしょうよ。

柚香あんた紀久が毎日真凛ちゃんの話するのに聞いてなかったの?」

「犬じゃなくて金魚!」

「あれ、そうだっけか」

「お母さんも適当じゃんね~」とお姉ちゃんはうれしそう。

「んで、まりんちゃんちってどこなの?」

「図書館のそばにあるおっきなアパート!のどこか!」

あそこってたしかとお姉ちゃんはつぶやいたあと

お母さんのほうを振り向いてなにかを話してた。

わたしはどんな髪型で行こうか考えてた。三つ編みかな。

そうだ、この前お母さんに買ってもらったピンもつけたいな。

「そんでいつ行くの紀久?」

「夏休みの1日目!」

「お~もうすぐだね。でもまだあと1週間あるよ」

「うん!」

「だから準備するのはちょっと早いんじゃない?」

わたしはお気に入りのリュックにお菓子を詰める手を止めて

ぷーとふくれた顔で振り向いた。

だって、楽しみなんだもん。

 

 

金魚のシナモンは思っていたよりずっと大きくてちょっと怖かった。

「これって鯉じゃん」

「これで金魚なんだな~」

「そもそもシナモンって犬の名前じゃない?」

まりんちゃんはシナモンに餌をあげながらちょっと黙った。

「ぴんぽん、前飼ってた犬の名前です」

なんでその犬は今いないの?と思ったけど

聞いていいのかわからなくてわたしもちょっと黙った。

まりんちゃんは「ここシャタクだからね」と少し笑い

私はシャタクの意味がわからなくてまたへらへらと笑った。

まりんちゃんのお母さんはカールと緑茶を用意してくれて

すぐに仕事に出かけて行った。土曜日なのにすごい。

お母さんに持たせられたおまんじゅうを渡したら

「こっちのほうが緑茶に合うわね」って笑ってくれて

弱々しいその笑顔と細い体にわたしはちょっと心配になった。

まりんちゃんに「危ないことはしないでね、火と刃物はだめ」

と出がけに言っていたけどまりんちゃんはわかってるよ、と聞き流していた。

お父さんはいないらしい。

まりんちゃんの家には色んな形のビーズがあって

あと画用紙、においつきペン、マスキングテープ、小さい折り紙

もうなんでも、なんでもあった。

「わたし王冠作ろうかな~ビーズでネックレスも作れるよ!」

ひょいひょいっと糸にビーズを通していくまりんちゃんを見て

わたしは見とれてしまった。

「じゃあ私は賞状つくる」

「え、なんの賞状?」

「ひみつー!」

「なんだなんだ!じゃあ私も作ろーっと」

これはまりんちゃんにあげる「たくさん覚えたで賞」だもんね。

左手で隠しながら文字を書いてそのまわりにモールを貼った。

まりんちゃんも一生懸命紙に何かを貼っていた。

「あ、ビーズ貼ってる!いいなぁ」

「きくちゃんも貼りなよ…あっ」

まりんちゃんの手からすべり落ちたビーズが私の服の袖に入った。

あ、ごめん!とビーズを取るふりをしながら

わたしをこちょこちょ、くすぐってくるので

笑いがこらえきれなくてわたしは部屋の隅まで逃げた。

まりんちゃんが追って来るのでわーっと叫びながら

部屋の中を走り回った。

もうこーないでっ!と笑いながら振り返ったとき

手がシナモンの水槽に当たって中の水がバシャンっと床にこぼれた。

あ…と声が出てそのままわたしは動けなくなった。

やっちゃった、どうしよう。

「ごめんねごめんねごめんまりんちゃん、どうしよう」

泣き出しそうになってまりんちゃんを見る。

大丈夫大丈夫、ショウコインメツよと微笑み

奥から雑巾を持ってきて、まりんちゃんは床を拭き始めた。

急いで私も一緒に拭く。

まりんちゃんはなんでこんなにやさしいんだろう。

そう思うと涙がまた溢れてきて止まらなかった。

あっシナモン!と慌てて水槽を覗いたら

シナモンが生きれるくらいには水は残ってて安心したのも束の間、

袖からさっきのビーズが出てきて水槽の中に入った。

「あああああああシナモンっ食べないで!それ!ビーズ!!!」

水槽の淵を掴んでがたがた揺らすわたしを指さして

まりんちゃんはゲラゲラ笑った。そうしてしばらくして

「きくちゃんみたいな友達が…」とつぶやいたけど後半はよく聞こえなかった。

 

 

夏休み中に、まりんちゃんはまた転校することになった。

あっけらかんとした調子で伝えるまりんちゃんが信じられなくて

わたしは電話の受話器をきつく耳に押し当てた。

「え、うそ、だよね?」

「ほんとなんだよ~」

「だって1学期しかいなかった」

「そう、自己最短記録です」

「なんでもっとはやく言ってくれなかったの?」

「終業式でトウダンさせられるのもう嫌でさ」

「え…いやだよ…わたし、これから、たくさん…」

涙がこらえきれなくて、唇を強く噛む。

受話器の奥でまりんちゃんも泣いているのがわかった。

 

まりんちゃんち、シャタクは来月に取り壊されるらしい。

すっからかんになった部屋に入って

胸がぎゅんと縛られたみたいに痛くなった。

わたしのお母さんはいつもより高い声でまりんちゃんのお母さんと

にこにこ話している。

わたしはちゃんと笑えない。

まりんちゃんは困ったような顔をしている。

「これから、って言ってくれたのにね」

「え?」

「これからわたし、3年2組のみんなともきくちゃんとも

いっぱいいっぱい思い出作ろうって思ってたんだけどね」

残念でした、と消え入りそうに言う。

こんなときもうまく気持ちが言えない自分がいやだ。

ちがう、ちがうよ、まりんちゃん。

「結局最後までなまりはうつらなかったし。実はちょっと練習してたんだよ?

みんなが同じ言葉をしゃべってるのがうらやましくてさ」

「ち…がうよ」

「ん?」

うまく言えるかわからない。でも。

「思い出、わたしももっと作りたかった。ずっと一緒にいたかった。

それにね、実はまりんちゃんの言葉ときどきわからなかった。

でもね、そんなのいい、いいの。まりんちゃんは大事なの。

まりんちゃんと一緒にいて楽しいって思った気持ちとか

まりんちゃんとしゃべったこととか、

会えなくなってもずっとわたしの心のなかで続くの。

だからまりんちゃんは、大事なの」

うまく、言えないなぁ。その上泣きすぎてしゃっくりが出てきた。

でもまりんちゃんはゆっくりと頷いて手を握ってくれた。

 

アパートの前まで見送ってもらって

お母さんに「ほら、さよならって」と背中をとんとんされた。

そのときふいに「たくさん覚えたで賞」を

持ってくるのを忘れたことに気づいて、ショックで地面に座り込んだ。

心配するまりんちゃんに小さい声で説明すると、

じゃあエアージュヨシキしよ、私もきくちゃんに渡す賞状あるからと言って

「雪野紀久さん!イカドーブン!」

と全校集会の校長先生の真似をして両手を差し出してくる。

わたしもおかしくなって

「さたけまりんさん!イカドーブン!」

と目に見えない賞状を渡した。

まりんちゃんといると楽しい。

この気持ち、忘れないよ。

でももし忘れても、ずっと続くんだよ。

まりんちゃんに、これ何の賞状?と聞いたら

「たくさん友達で賞」だよ、と舌を出して笑った。