部屋

このパジャマは知ってるでしょ。元彼に選んでもらったやつ。このベッドのことも知ってるね。いつも部屋にあったから。でもあのピアスは知らないでしょ。あのスーツも、本も、食器も。私もこれからあなたの知らない人になっていくんだよ。信じられる?あなたばっかり若いままで私はどんどん年をとるんだよ。そんなん嫌だよね。どうすればいいんだろうね。

一度脱いだ制服を着て睫毛をあげた、恥ずかしさと高陽感で私たち無敵だったね。走り出して思わず繋いだ手、あのときが最初で最後だったかな。あれなんだったんだろうね。左利きだから字が汚いって気にしてたじゃない、私は好きだったよ左から右へはらうように進むペン先。もらった手紙、今はうまく読めないんだけどさ。
具合悪い私の背中をさすってくれたときも、改札で大きくバイバイしたときも、すぐそこにある手をどうして掴まなかったんだろう。一番大事なときに離してしまった手は行く先を見失って私の膝上にある。
私たちを繋ぎ止めるものぜんぶなくしたっていいから、もう一回出会おうよ。そしてまた手、繋ごうよ。

シンプルに

どんなに痛々しい口実もしくは感動的な理由をべらべら並べたって、会うのは会いたいからだし、会わないのは会いたくないからです。そこを変に考えすぎるからわけわかんないことになってんの。言葉の包装紙でラッピングするのも結構だけどもたもたしてたら中身腐るよ。我慢は美徳なんてもう古いからさ、思うがままに生きましょ。

段差

息を切らしながら言ったこと
清潔な一言にまとめられて
またひとつ
ぼくは消えた

「世界にたった一人」という
わずかな誤差
この狭い狭い箱のなかで
出会って笑って
メダカみたいに泳ぐ十数年

横一列に歩きながらおしゃべり
左足だけ歩道にのっけて
右足は落ちてた
顔は笑ってた
数㎝の段差が怖かった
おかしいって笑うでしょ
またぼくはそこに立ってるんだ