徒然

・ねむい
・まって超ねむい
・やば、あくびしたの見られたかな
・あ、大丈夫そう
開店
・おーおー走ってきた
・あの情熱すごいよなぁ
いらっしゃいませー
・私にはないな
・基本的に何にもはまらないんだよな
・物欲もないし
どうぞー
・人間は好きだけど
いらっしゃいませー
・個人に執着できないんだよな
こちらどうぞー
・ずっとこのままなのかな
・…あの人のサングラスすごいな
・おしゃれってなんなのかね
・でも服を着るのも髪型を整えるのもおしゃれのためとは限らんよな
・そういうこと、最近多いな
・みんなのゴールは一緒じゃない
あっすいません
・走っている人が全員一位を目指してる訳じゃないしね
・行動だけで目的を決めつけちゃいけないよなー
いらっしゃいませー
・うわ、あの人タイプだな…
・ともくんに似てるなちょっと
・ひたすら弱いよなあーゆーの
・地味でやさしそうな人
・…そんなんばっかだから上手くいかんのかね
どうぞー
・でも絶対50人に1人くらいの割合でいる気がする
・運命の人
いらっしゃいませー
・そうやって少女漫画みたいなときめきを
カロリーメイトみたいに摂取してたいな
・現実味のある恋愛とか
・めっちゃ電池くうアプリみたいな
・不快感あるし
どうぞー
・ああ足、疲れたな
・え、まだ一時間も経ってないんず…
・ヤバT聴きたいー
いらっしゃいませー
・ここまで自分の発する言葉が
・空に消えていくとおもしろいな
・届かなかった言葉はどこへいくのでしょうか
・なんつってな
どうぞー
・でもこの仕事
・めちゃくちゃ単純で機械的なもんだけど
・AIに奪われる仕事ではないよな
・これ人間が疲れのなかで笑顔見せながらやるのが価値っぽいもんな
・いやAIも疲れるんだろうか
・んー
いらっしゃいませー
・チョコ食べたい
・この前つくったチョコタルトおいしかったな
・甘さでろでろで
いらっしゃいませー
・…別に仕事楽しくないけど
・つらいことは忘れられるからいいな
・ちゃんと大丈夫になんなきゃな
どうぞー
・にしても葛西さん、やさしくてよいよな
・好きだなー
・うーん、好きだなー
いらっしゃいませー
・もう新しい誰かを好きになるのは
・しんどいなってさんざん思ったのに
・こうやって無邪気に人を好きになれるなんて
・私が単細胞ってことかな
どうぞー
・いや、あえて才能と呼ぼう
いらっしゃいませー
・まぁそれが人生なんか


………



って考えてたらバイト終わった

改札

クリスマスにプロポーズ、なんて言葉がでかでかと書かれてたよ広告に。そんな時期ですか。そっか、そうですね。横目で読み捨てて改札へ向かう。最近知ったんだけど財布のなかに入っててもSuicaって反応するのね。優秀です。ちゃんと反応して「チャージしてください」と伝えてくれました。優秀です。いつも思うけど東京の人ってすたすた歩くよね。改札通れなくなってる人をさっと避けて違う改札を抜けていくよね。東京の人って言ってもほとんど私と同じ地方民なはずなのにね。じゃあ私もいつかあんな風になるのかな。ほんとに?でもみんなだって時々なら、このまま改札通れなきゃいいって思いませんか。私は思う、時々。いやそりゃ私だけじゃ嫌ですよ。みんなでって話です。あ、嫌ですか、そうですか。なぜなら行き先があるからですよね、そりゃそうだ。でも私はここのところ一人で改札ひっかかってる時間がずっと続いてるような気分、気分だけで言えばそうなんです。すいすい改札を抜けて地上の光のなかを進んでいく周囲に焦りを感じながら自分の前に立ちはだかる壁を呆然と見つめてます。チャージしたってチャージしたって抜けられない。お金じゃないならなに。経験ですか、成長ですか、人間力ですか。
いつかは私もみんなみたいになるの。行き先はいつも明確でその方向へ迷いなく歩いていけるの。それともただそう見えてるだけなの。じゃあこの気持ちをみんなはどうしたの。
ねえ、ほんとに?

心に穴が開く、ではないんだな。
例えるなら土台がなくなった、の方が近い。その上にどんなに積み木を積み立てても崩れてしまう。いつからか私の生活は、人生は、その子の存在を前提に成り立っていた。それは会ってないときもその子のことを考えていないときもそうだった。そのことに、今更気づいた。
時間が経つほど上手く泣けない。泣けば泣くほどその子がもういないことが確かになっていくようで嫌。これ以上確かな事実もないってわかってる、わかってるけど頭がちゃんと理解できるときとできないときがある。白と黒の境目を、存在するはずのない境目を、ずっとさまよい続けてる。
目を開けたら何もかも嘘だった、そういう朝をください。私とあの子をつなぐもの、記憶も過去も関係も失っていいから、あの子が生きてる世界を。

生きる

暗い話になるので、苦手な人は飛ばしていただいてかまわないです。

まだ気持ちの整理がついていないので、支離滅裂な文章になっているかもしれません。

でも誰に言うこともできなくて、ここに書きます。

 

 

 

先日、親友を亡くしました。

大学時代、ずっと一緒にいた一番の友達でした。

ディズニーランドで遊んだり、ピクニックをしたり、花火大会に行ったり。

アルバムを彩る楽しい思い出は山ほどありますが、その子と過ごした時間の多くは写真を撮るほどでもないささやかな日々の生活でした。

第一印象も初めての会話もよく覚えていません。

1年生の秋に出会ってから、気がつけばいつも一緒にいました。

偶然同じアパートに住んでいることを知ってから、夕飯が多くできると鍋を持っていき、見たいテレビがあるとお邪魔し(私の家にはテレビがなかった)、シャンプー貸してと駆け込み。あーこうやって書いてると基本的に私が世話になってばかりだな。でもその子はいつも笑って「いいよ、うち来な~」と迎えてくれました。

本当に、やさしい子だったんです。

やさしくて、やさしくて、私はいつも助けられてばかりだった。

末っ子気質の私は長女気質の彼女を「ねーちゃん」と呼ぶようになって、周りの人に笑われてました。考え方も性格も全然違うのに、なぜか一緒にいると居心地よくて何時間しゃべっても飽きませんでした。

どんなときも他人の気持ちを考える子でした。こんなに親しい私にさえ言葉を選ぶし、自分の家族にさえ気をつかう。すごいね、と言うと本人は必ず「そんなことない!私なんていつも自分のことで頭いっぱいになっちゃうんだよ」って否定して、私のほうがすごいと褒めました。

そういうことに関して照れがない私たちは相手のいいところとか好きなところをすぐ言う関係でした。やさしくて、気が利いて、まっすぐなねーちゃんは素晴らしい、大好きだって感じたままに言うと、ねーちゃんは(謙虚にそれらをやんわり否定してから)おかえしに私のいいところをたくさん発見して話してくれました。ねーちゃんのほうが人間としてできてるのは誰に目にも明らかだけど、完璧じゃない私たちがお互いのことを想ってよりよくあれたのだとすれば、私はねーちゃんと自分の間にあるものも本当に好きでした。

そんなねーちゃんの具合が悪くなって、後ろ向きなことをつぶやくようになってからもずっと私はねーちゃんのすごいと思うところと好きなところを伝え続けました。そしてねーちゃんの話を聞き続けました。逆に言えばそれしかできることがなくてすごく歯がゆかった。具合が悪化すると共にねーちゃんの周りには硬い殻ができて、次第に私たちの連絡はまばらになりました。そしてそのまま、ねーちゃんは旅立ちました。

 

なんで私はもっと連絡しなかったんだろう。

なんで私はいつか治るって思ったんだろう。

なんで私は、なんで私は、と自分を責める気持ちが止まりませんでした。

同時に、なんでその道を選んだんだとねーちゃんを責める気持ちもありました。

生きる意味がわからなくなったって、どんなにつらくたって、すべてに絶望したって生きなきゃいけないでしょ。

絶対に、絶対に、生きなきゃいけないでしょ。

なんで、と考えたら涙が止まらなくて苦しかった。

結婚式は呼ぶよって言ったじゃん。社会で働くってわくわくするねって言ったじゃん。子どもの名前どうしようかって言ったじゃん。おばあちゃんになっても仲良くしようってさあ、言ったじゃん。

なんでねーちゃんがいないのに、私一人でそれらを経験してかなきゃいけないの。

そんなのおかしい。これからどうすればいいの私は。

死にたいっていうんじゃなくて、そんな人生を生きてかなきゃいけないってことがもう、わかりませんでした。

つらいときはいつもねーちゃんに電話かけて泣きついてたから、泣き疲れて咄嗟にねーちゃんに電話、と思ってしまって自分でもばかだなと思ってまた泣きました。

そうするうちに次第にねーちゃんを責める気持ちがなくなっていきました。

 

確かにね、ねーちゃん。

なんでこんなにつらくても生きてかなきゃいけないんだろうね。

 

 

 

後日、ご家族のおうちへ一人で伺いました。

ご両親は温かく迎えてくれて、ねーちゃんの話のなかでしか聞かなかったおうちを初めて目にしました。慣れないお悔やみの言葉を言い、ちゃんと作法を守らねばと緊張しながら線香をあげ、手を合わせました。

私は礼儀作法に疎かったのですが、ねーちゃんはそういうところがちゃんとしていたので、出来る限りの努力をしました。ねーちゃんの大事にしていたことを大事にするしか、弔い方が思い浮かばなかったのです。顔をあげると、写真のなかのねーちゃんはいつもの通りやさしく私を見つめていて、でも全然実感はわきませんでした。

「えー、この写真なの私!?」「この前合コン前に撮ったsnowのほうが盛れてたよね」「いやでもsnow飾るわけにもいかないか」「確かに!笑」って会話が声が聞こえるほど生々しく浮かんで、不謹慎だとはわかりながら、でもそれくらい私たちにとって遠い遠いものだった「死」がすぐ目の前にあることがどうやっても信じられませんでした。

ご両親は様々な葛藤のなか、ねーちゃんの弔い方を模索しているようでした。大学生活を過ごしていたねーちゃんのことを知りたいとおっしゃってたので、写真を見せながら楽しかったことを話しました。

そしたら本当に楽しくて。「私たちこんなことをして、そしたらねーちゃんがこう言ってめっちゃ笑いました。それから、それから…」と話していたらうれしくておかしくて笑っちゃいました。ご両親も笑って、よく話を聞いてくれました。

話しているうちに「ねーちゃんと話してると感動するんです。何年経っても話すたび感動する。こんなにやさしい子に会ったことないって何回も思いました。」って言葉がすっと口から出て、改めて気づきました。

 

私は、ねーちゃんが本当に好きだったんです。

ねーちゃんと出会えてうれしかったし、一緒にいて楽しかったし、ずっとずっと幸せだった。私の人生の中でねーちゃんと一緒に過ごした時間があって、本当によかった。

だからこれから会えなくなることが、ただただ、寂しい。

 

 

 

なんでこんなにつらくても生きてかなきゃいけないんだろう。

その答えは未だにわかりません。

でもつらいのと同じくらい、ねーちゃんとの日々はずっと楽しいものだった。そのことは何によっても傷つけられない永遠の事実なんです。

いろんなことを責めたり悔んだりする思いは尽きません。多分、周りからどんなに否定されてもその思いはこれからも持ち続けてしまうと思います。

それでも。

うれしかった、楽しかった、だから寂しいって気持ちはシンプルに素直に認めていこうと思います。無理に押さえつけようとなんてしない。

 

 

 

 

私はねーちゃんのことが大好きだったし、これからもずっとずっと大好き。

ねーちゃんに見せたかったものを作るよ、喜びそうなものは持っていくね、つらくなったら話しかけていいかな。

ねーちゃんの写真の前で手を合わせたとき、なんにも考えれなくてただ「幸せになってね」って思ったの。

じゃあ今までと変わらないよね。

私はこれからもねーちゃんの幸せを祈ってるから、ねーちゃんも祈っててね。

一緒に生きてこうね。

関わり

ある大きなことが誰かを傷つけても、悲しませても、その先の人生をまるごと変えてしまっても、それがその人のすべてではないんじゃないか。悲しい過去に支配されない道を歩むことができる素質は誰にだってあるんじゃないか。

そんな理想論は恵まれた環境で育ってきたからこそできる話だ、と言われたら何も言い返せない。奢った考えだ、と言われたら自信がなくなる。確かに生まれてからずっと当たり前のことを当たり前に享受してきた私にはどんなに考えても及ばないことはたくさんあるだろう。親が考えて努力して与えてくれたものを後ろめたく思う必要はないけれど、生まれの不平等さに対して自分のなかでずっと折り合いがつかない。

それでもさ。

だから関わらないっていうのは違うんじゃないか。私にはきっとわからないことだらけだけど、何もしなかったら一歩も近づけないまま終わってしまう。なんらかの形でその人の毎日をよりよくする手伝いがしたい。少しでも求めてもらえるなら精一杯応えたい。そのための方法は学ぶし、いつでも注意はする。でも悲しい過去を抜きにしたその人にも関わっていたい。支援者と被支援者という前に、私たちはそもそも人と人であって、その関わりは常に双方向的なものだ。

私は私の人生しか生きていけないし、あなたもあなたの人生しか生きていけない。
でもそれは喜びである、そう思える瞬間を生み出せればとただ願いながらこの秋、行動を始めた。

英語

言語って誰のもんなんだろうか。

 

日本人にとって、英語の存在は大きいと思う。まるで「この世には二種類の人間がいる。ひとつは英語ができるやつと英語ができないやつだ」とでも言うように、人々を二極化させている気がする。特にできないと自覚している人は英語の話になると、「英語はだめなんですよ」と白旗を振るように苦笑することが多い。そういう私も数年前まで、留学経験や試験のスコアという「通行証」を持っていなければ「こっち側」から「あっち側」へは行けない、という意識があった。実際その意識が変わったのは海外経験を経たからなので、今日の投稿は通行証の存在を証明しているような話になってしまうかもしれないが、そうではない!という私の考えをひとまず伝えたいと思う。

私は昔から抱いていた「海外に住みたい」という願いを、オーストラリアで叶えた。約1年間、語学学校へ行ったり働いたりボランティアをしたり、学生時代にはできなかった経験をたくさん積んだ。そのなかのひとつに、日本語学校のアシスタントがある。そこでは、10代から60代までの様々な年齢の人たちが日本語を学んでいた。そのほとんどが仕事帰りや学校終わりに完全なる趣味でやっている人たちだった。外国でこれほど多くの人々が日本語を熱心に学んでいるという事実だけでも興味深かったが、何よりも胸を打たれたのは彼らの楽しそうな顔だった。「毎日一文を覚えようと思ってるんです」と胸ポケットから手書きのメモを取り出すおじいさん、週末見た映画の内容をたどたどしい言葉で伝えるサラリーマン、お気に入りの漫画のセリフについて授業終わりに質問する高校生。新しい言葉を覚える、使う、そして通じるという単純な喜びにほくほくしている彼らの姿を見て、日本語は日本人だけのものじゃない、こうやって興味を持って楽しんで学んでいる彼らのものでもあると心底思った。

帰国してから、「通行証」を手にした私は望み通り周囲から「あっち側」扱いをされるようになったが、自分にはもうそういう区分け自体意味がないような気がした。能力だけの話をすれば、日常会話はスムーズにできるようになったし海外の友達は増えたが、本当に習得したと言うには程遠いレベルだった。それでも、渡航前にあった「英語は私のものではない」という考えはなくなった。それは能力というより意識の問題だったし、英語を話せればと思う誰もにあてはまることだと思う。極端な話、例えば「私はサッカーをしたいです」とか「あなたは何歳ですか」という文章が話せれば、それで十分英語はあなたのものじゃないだろうか。だってもし英語話者の男の子にそうやって話しかければ一緒にサッカーをすることもできるし、何歳か尋ねることもできる。英語話者に自分の意思を英語で伝えられたって時点で自分を「こっち側」とか「あっち側」なんて分ける必要はない。

いやもっと深い話をしたい、そんなの会話じゃない!という人がいるなら、勉強と実践を積み重ねてどんどん上手くなればいいと思う。でももし「そんな簡単な文章話せたくらいで…」と思って英語に距離を感じている人がいるなら、そんなことない!と私は言いたい。

 

言語はできる人だけのもんじゃない。いろんな角度からいろんな向き合い方で日本語を話していた生徒たちがいたように、英語だって他の言語だって自分の好きなように関わることができるしそこに境界線はない。話してみたいという気持ちは何かで押し潰すことなく健やかに育ててほしい。そうしていつか、新しい誰かと気持ちを伝え合える日が来たら、それはすごく素敵なことだと思うのだ。

ビール

ダサいと思ってた大人に年を取るほど近づいてく。年下の経験と自分の経験を区別できなくなって物知り顔で諭してくるジジイが未来の自分に見えて殴りたくなる。暇でもないのに暇をつぶすために見たくもない画面を見る昼休みは、旅行、人との出会い、充実、やりがい、仕事、人生は一度きり、結婚。友達の家にある笑顔の写真をベタベタ貼って造花で飾りつけたコルクボード。幸せになりたいってより後悔したくないだけじゃねえかと毒づく。嘘も言わないかわりに本当のことも言わない会話が煙草の煙に混じって天井を汚しているのをぼんやり見ながら付き合いで飲む酒は嫌いだったビール。脳を占めるどろついた考えを薄めるようにいつしか家でも一人でビール。そうやって生きてしまった自分を守るために積み木で城作って布団に入ったのに、ふいにあたった腕で崩れた残骸を暗闇で見つめれば生ぬるい涙がうっとおしい。こんなんかよ、人生、世界、俺。